東京地方裁判所 昭和41年(行ウ)19号 判決 1968年7月04日
原告 大阪建物株式会社
右代表者代表取締役 工藤友恵
右訴訟代理人弁護士 中筋義一
中筋一朗
神田定治
被告 東京都中央税務事務所長 岩本明
右指定代理人 泉清
<ほか二名>
主文
被告が原告に対し、別紙第一物件目録記載の不動産の取得につき、昭和三九年七月一〇日付納税通知書をもってなした不動産取得税賦課処分のうち、課税標準額一億一八四六万三五〇〇円、税額三五五万三九〇〇円をこえる部分を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の申立
一 原告
(第一次請求)
主文同旨の判決を求める。
(第二次請求)
主文第一項掲記の不動産取得税賦課処分のうち、課税標準額一億四二一五万六二〇〇円、税額四二六万四六八〇円をこえる部分を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決を求める。
二 被告
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求める。
第二原告の請求原因
一 被告は、原告が昭和三九年三月三一日訴外大阪商船株式会社(同年四月一日訴外三井船舶株式会社と合併して大阪商船三井船舶株式会社となる。以下「大阪商船」という。)から別紙第一物件目録記載の土地(以下「本件第一土地」という。)を取得したとして、原告に対し、昭和三九年七月一〇日付納税通知書をもって、課税標準額一〇億五〇八七万一八〇〇円、税額三一五二万六一五〇円とする不動産取得税の賦課処分をした。これに対し、原告は、同年八月八日東京都知事に審査請求をしたが、同年一〇月二三日右請求棄却の裁決があり、同月三〇日原告に通知された。
二 しかし、原告が大阪商船から本件第一土地を取得したのは昭和三九年三月三一日ではなく、昭和三八年九月一二日である。すなわち、原告は、大正年間に大阪商船の本店のあるビルの管理経営を目的として設立された会社で、大阪商船とは資本面、人事面等において密接な関係にあったところ、近年の海運業界の不況のため経営不振の状態にあった大阪商船が、海運業の再建整備に関する臨時措置法の定めるところにより、資産を整理して他の海運業者と合併しなければならないこととなったので、同会社の所有する本件第一土地及び別紙第二物件目録記載の土地(以下「本件第二土地」という。)を原告が譲り受けるべく、昭和三八年以前より大阪商船代表者と原告代表者とが関依金融機関の首脳を交えて秘密裡に交渉を進めた結果、昭和三八年九月一二日、本件第一土地を代金二四億円、同第二土地を代金三億二〇〇〇万円で原告が大阪商船から買い受け、右代金のうち二四億円は大阪商船の訴外日本開発銀行等に対する債務を同額だけ原告が肩代りして決済するという内容の売買契約が成立し、これによって原告が右各土地の所有権を取得した。そして、この売買契約については、両当事者間に前記のような密接な関係があったことや、それが大阪商船の合併問題に関連して高度の機密を要する取引であったことなどから、同年一〇月中に、両社の代表者間で前記合意の趣旨を確認した同年九月一二日付の覚書を取り交すにとどめたのである。もっとも、右第一土地については、昭和三九年四月八日に同年三月三一日付売買を原因として、第二土地については同年六月五日に同年三月二八日付売買を原因として、それぞれ大阪商船から原告に対し所有権移転登記がなされているが、これは単に登記申請手続の便宜上そうしただけのことで、真実の売買の時期を表示したものではない。また、被告は、本件第一土地につき、大阪商船と原告との間に昭和三九年三月三一日を所有権移転の日とする同日付の売買契約書が作成されていることをその主張の根拠とするもののようであるが、右契約書が実際に作成されたのは、大阪商船の合併後である昭和三九年六月五日であって、この時期にいたり右契約書が作成された主たる理由としては、当時すでに前記売買契約にもとづく履行はすべて完了していたけれども、大阪商船の合併先である三井船舶に対する関係から、正式の契約書により取引の形式を整えておく必要があったので、登記原因に合せて、合併の前日である昭和三九年三月三一日に売買が行なわれたように日附を遡らせ、かつ、その日に代金完済と同時に所有権を移転する旨の慣用的な条項を記載した契約書を作成したものにすぎず、決してこれによって売買を行なったというものではない。以上のことは次の事実からも明らかである。
1、大阪商船が前記臨時措置法にもとづいて昭和三八年一二月運輸大臣に提出した整備計画書には、本件第一及び第二土地を昭和三八年一〇月に処分した旨が明記されている。
2、大阪商船が証券取引法第二四条にもとづいて作成した有価証券報告書では、右各土地が昭和三八年一〇月以降同商船の固定資産から除かれている。
3、大阪商船は、本件第一土地を更地にして原告に引き渡すため、昭和三八年一〇月下旬頃から同地上に所有していた建物(通称商船ビル)の解体工事をはじめ、同年一二月中にこれを終えて、その頃その滅失登記をし、また、第二土地については、同年一〇月頃地上の所有建物(通称商船寮)の収去につき原告から猶予を得、同土地の使用貸借契約を締結して、以後原告のためにこれを占有している。
4、原告の固定資産台帳には、原告が本件各土地を昭和三八年一〇月に取得した旨記載され、また、その基礎たる振替伝票には、右各土地の取得が前記覚書の約定によるものである趣旨の記載がある。
5、原告は、本件第一土地上に地上九階地下五階の鉄筋コンクリート建物を建設するため、昭和三八年九月建築事務所に基本設計を依頼し、同年一二月東京都に建築確認申請をし、同月二三日付で右確認通知を得て、同月末建築工事届を東京都に提出した。
6、原告は、昭和三八年中に、本件第一土地の維持管理、とくにその価値の増加を図るため、訴外八重洲駐車場株式会社と地下連絡通路開設に関する協定をし、昭和三九年三月一七日右通路建設協力金等として一〇〇〇万円を同訴外会社に醵出している。
これらの各事実は、原告が本件第一及び第二土地を昭和三八年中に取得したことを示すものであって、被告のいうように昭和三九年三月三一日に所有権を取得したとみたのではとうてい理解することができない。
したがって、原告の本件第一土地の取得に対して課せられるべき不動産取得税は、地方税法(以下「法」という。)第七三条の一三第一項、第七三条の二一第一項本文の規定により、同土地の昭和三八年度固定資産課税台帳登録価格(合計一億一八四六万三五一〇円)によるべきであり、これによれば、その課税標準額は一億一八四六万三五〇〇円、税額三五五万三九〇〇円となる。しかるに、被告は、昭和三九年度登録価格によって本件課税処分をしたのであるから、同処分はその限度において違法であり、取消しを免れない。
三 かりに、本件第一土地の取得が昭和三九年三月三一日であったとしても、次の理由により昭和三九年度登録価格によって課税することは許されない。
すなわち、法第七三条の二一第一項本文は、固定資産課税台帳に価格が登録されている不動産については、当該登録価格により不動産取得税の課税標準を決定すべきものと定めているが、右の登録されている価格とは当該不動産の取得の時において現に台帳に登載され、かつ、縦覧に供されているものでなければならない。ところが、本件第一土地については、昭和三九年三月三一日当時まだ前記昭和三八年度の価格が登録されていたのみであって、昭和三九年度の価格は台帳に未登載であり、かりに登載されていたとしてもまだ縦覧に供されていなかったのであるから、その後に登録された昭和三九年度の価格をもって本件の課税標準としたのは違法である。
四 更に、本件の課税標準が昭和三九年度の登録価格によるべきであるとしても、本件処分の採用した価格は正しい登録価格ではない。
すなわち、本件第一土地の昭和三九年度固定資産課税台帳の登録価格欄には、同年度の価格として、合計一〇億五〇八七万一八四〇円(以下「高い額」という。)と記載されているが、同一欄にこれと別に「法附則第三四項~第三六項による特例額」なる名目でかっこ書により合計一億四二一五万六二〇〇円(以下「低い額」という。)と併記されている。右法附則がこのような特例額を認めたのは、固定資産の評価替えが行なわれた昭和三九年度において、「高い額」により固定資産税の課税標準を一挙に前年の一〇倍以上に引上げ、ひいて税額を急騰させたのでは、納税義務者の負担の公平を害し、徴税上の平静と秩序を乱すこととなるので、右「高い額」の適正時価性すなわち課税標準性を失わしめ、これに代えるに昭和三八年度登録価格の一・二倍に相当する前記「低い額」をもって適正な時価とすることを宣明したものである。そうだとすれば、この趣旨は当然不動産取得税についても推及されるべきであって、右「低い額」をもって課税標準たる登録価格としなければならない。けだし、固定資産税と不動産取得税とが性質を異にするものであるにせよ、同一物件の適正な価格が二通りあるべきはずはないからである。したがって、本件不動産取得税を昭和三九年度登録価格によって決定する場合でも、その課税標準額は前記「低い額」一億四二一五万六二〇〇円、税額は四二六万四六八〇円とすべきところ、本件処分は前記「高い額」を採用して課税標準額及び税額を決定したのであるから、その限度においてやはり取り消されなければならない。
第三被告の答弁及び主張
一 (一) 原告の請求原因第一項の事実は認める。
(二) 同第二項の事実中、本件第一及び第二土地が大阪商船の所有であったこと、大阪商船と原告との間において右土地の売買に関する覚書が作成されていること、本件第一及び第二土地につき原告主張のような各所有権移転登記が経由されていること、大阪商船が海運業の再建整備に関する臨時措置法にもとづき整備計画書を運輸大臣に提出したこと、大阪商船が証券取引法により有価証券報告書を作成することになっていること、原告が本件第一土地上にその主張のような建物を建築するため建築確認申請をし、その確認通知を受け(但し右確認通知の日付は昭和三九年三月二三日である)、建築工事届を提出したこと、本件第一土地の昭和三八年度固定資産課税台帳登録価格の合計額が一億一八四六万三五一〇円であり、これによって不動産取得税を賦課する場合の課税標準額が一億一八四六万三五〇〇円、税額が三五五万三九〇〇円となること、本件処分は昭和三九年度固定資産税課税台帳登録価格により課税標準額及び税額を決定していること、以上の事実は認めるが、原告が大阪商船から本件第一及び第二土地を取得した時期が昭和三八年九月一二日であるとの主張は争う。その余の事実については知らない。
(三) 同第三項の主張は争う。
(四) 同第四項の事実中、本件第一土地の昭和三九年度登録価格として原告主張のとおりの「高い額」と「低い額」とが登録され、固定資産税が法附則第三四項によって規定される調整固定資産税額により賦課徴収されていること並びに本件処分が右「高い額」を課税標準としたものであることは認めるが、その余の主張は争う。
二 (所有権取得時期について)
原告は、大阪商船との昭和三八年九月一二日の売買契約により同日本件第一及び第二土地の所有権を取得したとし、甲第二号証の覚書がこれを証するものであると主張するが、右覚書は、その記載内容からわかるとおり、本件各土地の譲渡に関する将来の計画・方針について了解に達した事項をまとめただけのもので、これを基本として後日正式の売買契約を締結することを予定したものとみるべきである。ことに、本件のような巨額な土地の売買において、境界等の確定、代金の支払時期及び方法についての取決め、あるいは地上物件の収支費用の分担等につきなんら確定しないままで所有権移転の効果を生ずるような契約が締結されるということは常識上も考えられないところである。かえって、大阪商船と原告間には、本件第一土地の売買に関し、昭和三九年三月三一日付の売買契約書が作成されているのであり、この契約書によると、本件第一土地の代金支払時期を昭和三九年三月三一日限りとし(第三条)、右代金完済のときに所有権を移転する旨の特約があり(第七条)、目的物の引渡しは昭和三九年三月三一日に当事者双方が現地で行なう旨定められていて(第八条)、原告の本件第一土地の所有権取得の時期が昭和三九年三月三一日であることが明らかである。しかも、右土地については、昭和三九年四月八日に同年三月三一日付売買を原因とする移転登記がなされているし、また、前記覚書においても、右土地の引渡時期を昭和三九年三月三一日としているのであって、これらの点も被告の右認定を裏づけるものである。また、原告は、昭和三八年中に本件各土地を取得したことを示す事情として種々の事実をあげているが、いずれも所有権移転の時期を確定するについて適切なものではない。
三 (課税標準について)
(一) 原告は、昭和三九年三月三一日当時本件第一土地の同年度の価格が固定資産課税台帳に登録されていなかったと主張するが、これは次の理由により失当である。
昭和三九年度の固定資産評価格は法の改正により同年三月三一日までに決定するものとされ、固定資産課税台帳は同年四月一日から縦覧に供されることになった(法第四一〇条、附則第三二項)。ところで、右縦覧に間に合わせるためには、どうしても決定されるべき評価格をあらかじめ台帳に登載しておく必要があり、本件においても、評価格の決定前に決定されるべき価格を台帳に登載したが、都知事は昭和三九年三月三一日に右登載価格をそのまま決定した。このように知事の価格が決定されれば、台帳にすでに事実上登載した価格は法第四一一条にいう登録された価格となるのであるから、本件第一土地については同年三月三一日価格の登録があったものというべきである。
のみならず、法第七三条の二一第一項本文にいう「登録された価格」とは、当該年度に登録されるにいたった価格をいうものである。もしこれを原告主張のように不動産の取得当時現に登録されている価格の意味に解すると、登録事務の遅速により課税上不公平が生じたり、また、分筆のうえ取得したとき(この場合は法第七三条の二一第一項但書により同条第二項によって算出された当該年度の価格により課税される)と、そうでないとき(この場合は前年度の登録価格で課税される)とで税負担の公平が害されることになる。そうとすれば、本件においては昭和三九年度の価格が登録されるにいたったのであるから、これを課税標準としたことに誤りはない。
かりに右主張が容れられないとするならば、本件の場合は取得時に適正な時価の登録がなかったことになるから、本件処分は法第七三条の二一第二項によってなされたものというべきであり、しからずとしても、同条第一項但書の「登録価格(昭和三八年度価格)により難い事情」がある場合に該当するので、いずれにしても昭和三九年度評価格と同一の課税標準によるのが最も妥当である。
(二) また、原告は、本件の課税標準は、昭和三九年度登録価格のうちいわゆる「低い額」によるべきであると主張するが、これも理由がない。
不動産取得税は、法第七三条の二一の規定により固定資産課税台帳の登録価格を課税標準として賦課されるものであり、固定資産税も本来右台帳価格によって賦課されるべきものである。しかし、昭和三八年一二月二五日自治省告示第一五八号により固定資産評価基準が改正され、これに伴い評価方式も、従来の賃貸価格を基礎とする方式から売買実例方式に変り、昭和三九年度分固定資産税から適用することとなったため、固定資産の価格は昭和三八年度の価格に比して数倍以上となった。そこで、この基準改訂に伴う過渡的措置として附則第三四項ないし第三六項が設けられたのであるが、右附則の規定は、その法文上明らかなとおり、昭和三九年度から昭和四一年度までの各年度分の固定資産税に限り適用されるものであり、その内容は当該年度の固定資産税額が、昭和三八年度分の課税標準額の一・二倍の額をその課税標準額となるべき額とした場合の税額(これを調整固定資産税額という)をこえる場合には、この調整固定資産税額をそれぞれの年度の固定資産税とするというのであって、このことにより昭和三九年度の固定資産の価格として同年度の固定資産課税台帳に登録されている価格(前記のいわゆる「高い額」)を変更したものでないことは明らかである。法がこのような規定を設けたのは、固定資産税にあっては不動産を所有している事実に着目し永続的に賦課するものであって、税負担の急激な変動は避くべきであるという税法上の要請も相当強いものがあることによるものであり、これを固定資産税とはその性格を異にし、不動産の取得があったという事実をとらえ、随時賦課する流通税としての不動産取得税について直ちに類推適用することは許されない。すなわち、租税は租税法律主義の原則に基づき賦課するものであって、ある税についての規定は特段の定めがない限り、たとえその規定が納税者の利益となるものであってもこれを他の税の賦課について類推適用することは行政庁の自由裁量によってなしうる事項ではないのである。
この意味において、前記附則の特例額の規定が当該基準時における当該固定資産の適正時価とすることの法的宣言であるという原告の主張はとることができない。
四 以上のとおり、原告の主張はすべて理由のないものであり、本件処分につき法の解釈・適用を誤った違法はなんら存しない。
第四証拠関係≪省略≫
理由
一、被告が原告に対し、原告が昭和三九年三月三一日に大阪商船からその所有に係る本件第一土地を取得したとして、同年七月一〇日付納税通知書により、同土地の昭和三九年度固定資産課税台帳登録価格を課税標準とする本件不動産取得税賦課処分をしたこと、これに対し、原告が東京都知事に適法な審査請求をしたが、昭和四〇年一〇月二三日棄却されたことは、当事者間に争いがない。
二、原告は、大阪商船からの本件第一土地の取得は昭和三九年三月三一日ではなく、昭和三八年九月一二日であるから、その不動産取得税の課税標準は昭和三八年度固定資産課税台帳登録価格によるべきであると主張するので、以下右土地の取得の時期について判断する。
(一) まず、大阪商船と原告との間に本件第一及び第二土地の譲渡に関し昭和三八年九月一二日付の「覚書」(以下「本件覚書」という。)が作成されていることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すれば、次のような事実を認めることができる。
原告(不動産の管理経営を事業目的とする)は、海運業を営む大阪商船のいわゆる系列会社として大正年間に設立され、爾来資本面、人事面等において同商船と密接な関係にあり、最近の業績もすこぶる良好であったが、これに対し、大阪商船は、近年の海運業の不況のため欠損が続き、昭和三七年秋頃より、運輸省や融資銀行である日本開発銀行から、本件各土地を売却して負債を整理するよう強い勧告を受けるようになった。そこで、大阪商船は、同一企業グループに属する原告に右土地を売却して再建を期することを計画し、一方、原告としても、これが他人の手に渡らぬように自ら譲り受けることが、大阪商船に対する協力になると同時に、原告の事業発展上も利益であったので、昭和三七年中から直接両社の代表者の間で右譲渡に関する話合いを秘密裡に進めていたところ(両者の代表者は個人的にも長年の知己であった)、昭和三八年海運業の再建整備に関する臨時措置法が施行され、大阪商船が他の海運業者と合併しなければならないことが確定的となったので、右売買をすみやかに取りまとめる必要を生じ、昭和三八年七月頃には、(イ)代金はほぼ第一土地二四億円、第二土地三億二〇〇〇万円とし、第一土地の代金は大阪商船の住友銀行外数行に対する同額の債務を原告が肩代りすることによって決済し、第二土地の代金は現金をもって決済すること、(ロ)右各土地は昭和三九年三月三一日までに更地として原告に引き渡すこと、(ハ)大阪商船は原告の右土地の利用計画に協力すること、(ニ)代金決済方法や引渡しの時期・方法等の細目について双方から選任された専門委員が協議して決定すること、(ホ)売買について必要な運輸大臣及び日本開発銀行の承認を得られなかったときは右合意を無償で解約することなどが代表者間においてきまった。この代表者の交渉経過はその頃両社の役員や幹部にも知らされ、各役員が事実上これを諒承した(原告会社では同年七月下旬の役員会で代表者から報告があり、これを了解した)。そして、両社は右の合意を文書化すべく、当初、大阪商船側でこれを売買の予約と構成した覚書案を作成したが、予約としたのでは完結権の問題等が残るところから、覚書では細目の協議を行なううえの基本的事項を確認する程度にとどめ 早急に専門委員が細目を協議して、同年九月末日の両社の決算に右売買を計上しうるよう正式の契約書の作成を急ぐこととなった。同年八月二〇日及び二一日の両日、両社の専門委員(大阪商船側伊藤専務取締役ら、原告側角田常務取締役ら)による協議が行なわれたが、この協議では、前記代表者間の合意内容をそのまま前提としたうえで、債務肩代りについての銀行との折衝方法や、大阪商船が本件第一土地を更地にして引き渡すため同地上に所有していた建物(商船ビル)を取り壊すことに伴う建物賃借人の処遇問題及び右土地の一部を占拠していた望月某を退去させる対策等、主として売買の履行に関する事柄が協議の対象となり、また、契約の形式としては、仮契約書のごときものを作らず直ちに本契約書を作成することなどが決定された。そこで、大阪商船側では、同年八月中に本件各土地の売買につき運輸省及び日本開発銀行の承認を求める手続をし(その後右承認があった)、翌九月代金決済のための債務肩代りについても債権者銀行の了解をとりつけた。そして、同年九月一二日頃には、両社の代表者が会談して本件土地を前記代金額により売買することを改めて確認し、引渡しは無疵で昭和三九年三月末日までに行なうことを目途とすることなどを約した(但し、第二土地については、第一土地といわば抱合せで譲渡されたもので、原告がこれをすぐ利用する計画もなかったので、その地上にある大阪商船所有の木造建物(商船寮)をしばらくそのままにして同商船が無償使用することを認め、これに応じてその代金も適宜支払うこととした)が、前記大阪商船ビルから立退きを求めた旧賃借人をどう処遇するか(具体的には右ビルを取り壊した後に原告が建築する予定の後記建物に旧賃借人を収容するかどうか)が解決しなかったため、九月中に正式の契約書を作成するまでに至らず、同年一〇月に本件覚書が作成調印された。ところで、右覚書をみると、「本件各土地を大阪商船から原告に譲渡することを約し、その基本線を次のとおりとする。」と前書をしたうえで、「(イ)売買価格は信用ある機関の評定を経て最終的に決定するが、大阪商船は概ね第一土地二四億円、第二土地三億二〇〇〇万円を希望し、原告もこれを了承した、(ロ)右各土地の引渡しは無疵(居住、占有、担保関係等なし)で昭和三九年三月末日までに行なうことを目途とする、(ハ)売買についての細目は両社が専門委員を選任して協議に当らせる、(ニ)大阪商船は原告の本件各土地の利用計画に協力する。」という四箇条の条項が記載され、末尾の代表者名下には両社代表者の個人印が押捺されている。しかし、覚書の内容、形式を右のようなものとしたのは、前記商船ビル内賃借人の処遇問題を中心とする細目を取り決めてから正式な契約書を作成することを予定していたからであって、先に述べたような売買の主要な内容まで未確定浮動的であったわけではなく、とくに売買価格に関する右(イ)の条項についていえば、第一土地二四億円(坪当り約四〇〇万円)、第二土地三億二〇〇〇万円(坪当り四〇万円)という価格は、すでに日本不動産研究所の評価を得たうえ原告側の資産状態をも考慮してきめられたものであったため、更にこれを裏づける資料を加えておくというほどの趣旨で書かれたもので、再度の評価結果により右約定価格を変更するというようなことは全然予想されていなかった。
右のとおり認められ、これに反する証拠はない。
(二) また、≪証拠省略≫によれば、前認定のとおり、本件売買については覚書のほかに正式の契約書を作成することが予定されていたのであるが、昭和三八年一〇月に本件覚書が調印されてからは、両社ともに右契約書の作成をとくに急ぐという動きはなくなり、契約書がないまま次のような処理ないし手続を行なったことが認められ、これに反する証拠はない。
1、大阪商船は、前記約定に従い本件第一土地を更地にして原告に引き渡すべく、昭和三八年一〇月下旬頃から同地上の前記商船ビルの取壊工事にかかり、同年末頃にはほぼ取壊しを完了して、同建物の滅失登記をした。
2、大阪商船は、前記臨時措置法の適用を受けるため、同法第四条の規定にもとづき、昭和三八年一二月二〇日運輸大臣に対し所定の整備計画書を提出したが(これについては同社取締役会の議を経た)、この計画書には、同年一〇月に本件各土地を前記代金額で処分した旨記載されている。
3、一方、原告は、本件第一土地に地上九階地下五階の鉄筋コンクリートビルディングを建設するため、昭和三八年九月末頃から建築事務所に設計を依頼し、同年一二月東京都に建築確認申請及び建築工事届を提出し、昭和三九年三月二三日右建築確認通知を受けた(この都に対する手続関係は、建築確認通知の時期の点を除き、争いがない)。
4、原告は、右第一土地に建設するビルの利用価値を高めるため、昭和三八年一二月二〇日訴外八重洲駐車場株式会社に対し、右ビルと同訴外会社の駐車場地下街とを結ぶ地下連絡通路の開設を申し入れ、昭和三九年二月下旬その承諾を得、同年三月一七日に約定による建設協力費及び保証金として一〇〇〇万円を同訴外会社に支払った。
5、更に、原告は、昭和三九年三月末に本件第一土地の代金二四億円について銀行との債務肩代りの手続を完了し、同日付の振替伝票にもとづき、同社の固定資産台帳に昭和三八年一〇月取得として本件各土地を登載した。
なお、本件第二土地の代金三億二〇〇〇万円は、前記のとおり同土地を大阪商船がしばらく使用することとなったのに応じて、昭和三九年九月に二〇〇〇万円、同四〇年三月に一億円、同四一年九月に一〇〇〇万円が支払われている。
(三) 次に、本件第一土地については昭和三九年四月八日に同年三月三一日付売買を原因として、第二土地については同年六月五日に同年三月二八日付売買を原因として、それぞれ大阪商船から原告に所有権移転登記がなされていることは、当事者間に争いがないが、≪証拠省略≫によると、その間の経緯は次のとおりであったことが認められる。すなわち、本件各土地の所有権移転登記をいつ行なうかについてはあらかじめ格別の取決めはなかったのであるが、昭和三九年三月原告が本件第一土地に抵当権を設定して融資を受ける必要から、大阪商船に対し移転登記に必要な書類の交付を求めたところ、第一土地については昭和三九年三月三一日付、第二土地については同年三月二八日付のいずれも慣用的形式による不動産売渡証書が届けられたので、これを登記原因を証する書面として右日付の売買による移転登記をしたものであって、実際にこの日に売買契約がなされた事実はなかった。このように認められ、これを左右するに足りる証拠はない。
更に、≪証拠省略≫によれば、大阪商船と原告との間には、本件各土地の売買について昭和三九年三月三一日付の「不動産売買契約書」が作成されていることが明らかであり、第一土地に関する右契約書には、「大阪商船は第一土地を原告に売り渡し、原告はこれを買い受けることを約定する(第一条)代金は二四億円とし、昭和三九年三月三一日限り全額一時に支払う(第二条)。大阪商船は、昭和三九年三月三一日まで自己の費用と責任で地上、地下一切の工作物(前記望月某等第三者所有のものを含む)を収去除却して、原告の使用に支障なきよう処理し、かつ、右土地につき第三者の賃借権その他なんらの負担もないことを保証・確認する(第四条ないし第六条)。土地の所有権は原告が前記代金の支払いを完了したときに大阪商船から原告に移転するものとし、これと同時に所有権移転登記手続をする(第七条)。土地の引渡しは昭和三九年三月三一日双方立会のうえ現地で行なう(第八条)。土地に対する危険負担、公租公課等は所有権移転の日をもって区分する(第九条)。」旨定められている。そこで、この作成事情について調べてみると、≪証拠省略≫を総合すれば、右各契約書は、昭和三九年三月三一日に作成されたものではなく、大阪商船が同年四月一日訴外三井船舶株式会社と合併した後である同年六月五日頃に作成されたものであること(右合併の事実は争いがない)、右六月当時すでに第一土地については債務肩代りによる代金決済が終り、移転登記も完了していたのであるが、ひとつには、同土地の占拠者である前記望月某に対し原告が明渡訴訟提起等の手続をとるうえで権利関係を明確にしておく必要があったことのほか、主としては、大阪商船の合併先である三井船舶側に対する関係上正規の手続により売買がなされたように形式を整えておく必要があったので、作成日付を合併前日たる昭和三九年三月三一日に遡らせた前記契約書を作成するとともに、所有権移転の時期を前記登記原因証書の記載と一致させるため、右三月三一日限り代金完済と同時に所有権を移転する旨の条項を例文的に記載したものであることが認められ、この認定を覆えして、昭和三九年三月三一日当時に実際に売買契約を締結したとか、あるいはその頃に代金決済と同時に所有権を移転する旨の特段の合意がなされていたことを認めるに足りる証拠はない。
(四) 以上認定の事実によれば、原告が大阪商船から本件各土地を譲り受けるということ自体は交渉の当初からいわばきまっていたことであって、本件覚書が作成された昭和三八年一〇月当時には、本件第一土地を二四億円、第二土地を三億二〇〇〇万円で売買するという合意は確定的に成立し、その中心をなす第一土地の代金決済方法及び引渡しについても大綱が定まり、ただ細目の取決めは後日に残されていたこと並びにその後においては昭和三九年六月に前記契約書が作成されたことを除けば、売買の締結とみるべき特段の合意はなんらなされていないことが認められる。ところで、法律上売買の成立要件としては、売主が財産権を移転し、買主が代金を支払うという二点について合意があれば足り、その他のいわゆる附随的事項については、当事者がとくにそれを成立要件としないかぎり、その点の合意がなくとも売買の成立を妨げないが、取引の実際、ことに本件のように大手会社(大阪商船及び原告がそうであることは弁論の全趣旨により明らかである)が巨額の不動産取引を行なう場合には、一般に厳格な形式ないし手続が重んじられ、細目にわたって取引条件を確定したうえ正式の契約書に調印することによってはじめて契約を締結したものと観念され、それまでの事実上の合意は一応の了解あるいは予約の程度にとどめておくのが通常であろう。しかし、本件においては、前認定のように、大阪商船と原告とが密接な系列会社で、相互に取引上の駈引をしたり、相手方の不信行為を警戒したりする関係ではなく、しかも早急に売買を成立させることが双方にとって絶対の要請とされていたことからするならば、少くとも本件各土地を一定の代金額で売買することと、そのうちの主要な目的物である第一土地についての代金決済方法及び引渡しに関する大綱さえきまれば、その段階で、他の取引条件の決定や正式の契約書の作成を後日に残して直ちに売買を成立せしめても、右取引条件の決定や契約書の作成をめぐって紛争を生ずるとか、更にはその如何により既定の約定による売買そのものまで解消又は変更されるおそれがあったものとはとうてい認められず、かえってそうすることの方が当事者双方の利益と真意に合致していたものと認められるのである。このことは、本件売買につき、覚書のほかに、細目を定めた正式の契約書を作成することが予定されていたにも拘らず、前記のとおり、本件覚書の調印後正式の契約書の作成がないうちに、売買が発効しなければできないような代金決済及び移転登記などの履行行為やその他の重要な対外的行為が行なわれていることに徴しても裏づけられるところである。以上のような諸般の事情を総合して考えると、本件においては、前記覚書が調印された昭和三八年一〇月当時において、後日の細目の決定及び正式の契約書の作成をまつまでもなく、本件各土地について法律上の売買契約が成立したものと認めるのが相当であって、右覚書の表現や形式だけから、単に将来なすべき売買についての了解ないし予約があったにすぎないとみるのは当事者の合理的意思にそわないものというべきである。
もっとも、≪証拠省略≫によれば、大阪商船及び原告が、本件売買につき、会社の内規上必要とされる取締役会の承認を正式に得たのは昭和三九年一、二月中であったことが認められるが、本件売買交渉の特殊な経過からして、昭和三八年七、八月頃には両社の役員、幹部が事実上右売買の件を諒承していたことは前記のとおりであるから、両社代表者が正式の内部手続未了の間に本件売買を最終的に取り決めたということもあながち怪しむに足りない。また、前掲甲第一〇号証の一、二(不動産売渡証書)、第一一号証の三、第一三号証の一、二、乙第一号証(不動産売買契約書)及び本件各移転登記の登記原因欄にはいずれも本件売買が昭和三九年三月下旬になされた旨の記載があるけれども、これらが真実を表わしたものでないことは(三)に述べたとおりであり、他に本件売買の成立時期に関する前記認定を覆えにす足りる証拠はない。
しかして、売主の所有に属する特定物を売買の目的とした場合には、特約なきかぎり、契約と同時に所有権移転の効力を生ずるものと解すべきところ、本件売買においては、右摘示の採用しがたい証拠の記載を除けば、本件各土地の所有権の移転を後日(昭和三九年三月下旬)に行なう旨の特約その他即時の所有権移転を妨げる特段の事情が存在したことを認めるべき十分な証拠はない。被告は、右土地の引渡しが昭和三九年三月末に予定されていたことからも、その頃右引渡しと同時に所有権を移転する旨の合意があったものと解すべきであると主張するが、前認定の事情からすれば、当事者が所有権の移転をとくに引渡しの時や、あるいは代金決済の時にかからせていたものとは認めがたく、かえって契約と同時に所有権を移転する意思であったと認めるのが相当である。
してみると、結局、原告は、昭和三八年一〇月に本件各土地の所有権を取得したものというべきである。
三、以上の事実によると、原告の本件第一土地の取得に対して課せられるべき不動産取得税は、法第七三条の一三第一項、第七三条の二一第一項本文の規定により、右土地の昭和三八年度固定資産課税台帳登録価格を課税標準とすべきものであり、当事者間に争いのない右登録価格によれば、その課税標準額が合計一億一八四六万三五〇〇円、税額が三五五万三九〇〇円となることは明らかである(この点は被告も認める)。したがって、原告の右土地の取得が昭和三九年であるとの誤認にもとづき、同土地の昭和三九年度固定資産課税台帳登録価格を課税標準としてなされた本件処分(課税標準額合計一〇億五〇八七万一八〇〇円、税額三一五二万六一五〇円)は、前記課税標準額及び税額をこえる限度において違法であるといわなければならない。
四、よって、原告主張のその他の違法事由について判断するまでもなく、本件処分を右の限度において取り消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 緒方節郎 裁判官 小木曽競 佐藤繁)
<以下省略>